花の慶次~焔の大量40台導入決定を受けて、戦国歴史をお勉強してみました。

小田原の役(おだわらのえき)は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉後北条氏の居城小田原城を包囲し、北条氏政北条氏直父子を降した戦役

豊臣側の主だった大名(秀吉を除く)

総計約21万(推定)

。。。あれっ!?前田慶次郎利益がいない・・・

いろいろ調べてみましたが、伊達政宗の話は多いのですが、慶次や幸村、直江兼続の話しはなかなか出てこないのです。

漫画【花の慶次】では描かれなかった【小田原の役】。。。

歴史大好きな僕としては真相が気になる所です( ̄Д ̄;;

誰か細かく記されているサイトor書物を教えてぇ~

あっ!!そっか(ノ*゚▽゚)ノ

花の慶次~焔を見れば判るんだっ!!

楽しみぃ~☆

◆ココで戦国トリビア◆

小田原の役にまつわる伊達政宗のちょい悪な話。

天正十七年(1589年)、豊臣秀吉が小田原征伐を決定した際、
東国の諸大名に小田原攻めの参陣を命じたが、石川昭光は財政が困難な上、
健康上の都合もあって参陣することができなかった。
そこで昭光は甥にあたる伊達政宗が参陣する時、三芦城へ呼び迎え、

「私は諸事情により参陣できないので、代わりに太閤殿下に申し立ててくれないか。」

と依頼し、『荒墨』という駿馬一頭を献上してくれるよう政宗に託した。
一応承諾した政宗だが、政宗自身日和っていたせいで遅参して
秀吉の怒りを買っていたため、申し開きできるような状況ではなかった。
そこで政宗は秀吉の機嫌を取るため、昭光より預かってきた『荒墨』を
自分の贈物として献上してしまった。

その結果、昭光の意は少しも秀吉には伝えられず奥州仕置で改易されてしまったという。